音楽を「共有」するということ
- 泉山民衣
- 2024年9月3日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年9月19日
演奏する人と
その演奏を聴く人。
その二者間で、いったい何が共有されているのでしょう?
多くの奏者が
「聴く人の心に届く音楽を演奏したい」と願います。
でも、その“心に届く”とは、
具体的にどういうことでしょうか。
そんな問いから考えてみました。

わたしが考えるのは、
「空気」の共有です。
音は「空気の振動」。
その振動が、他者の耳に届きら音楽が知覚されます。
音楽を楽しむというのは、
「その場の空気の振動」を奏者と聴衆で共に味わうことなのかもしれない、と思いました。
奏者ができることは、
目に見えない、空気の振動を
意図的に生み出すこと。
◎その空気をどう動かしたいのか
◎聴衆に対してどんな空気の流れを共有したいのか
この視点で考えてみると、
視野が広くなることにも繋がり、
全身をスピーカーのように使った表現に変わっていくのではないでしょうか。
避けたいこと
一方で、こんな風にはしたくないと感じます。
楽譜に向かって音をぶつける
音を鳴らすことに集中しすぎて、その場にいる人を忘れる
音の出口であるアンブシュアや、キーを動かす指の動きに意識が囚われる
楽譜も、アンブシュアや指も、
音楽を演奏するためのツールであり、
音楽そのものではありません。
演奏を聴く人も
細かい技術よりも、
「今からどんな音楽を聴かせてくれるんだろう」「これからどんな時間を過ごせるんだろう」
というワクワクを求めていることも、少なくないのではないでしょうか。
「音が鳴るのか鳴らないのか」
「指が動くかどうか」なんて
細部に気を取られず、
自身が思う音楽を空気に乗せてただただ表現することを心がける。
そんな空気を共有していく意識を持つことが
必要なことじゃないかと思いました。
その先にどんな評価をするかは
聴き手側の好みに依るので、
そこまで奏者が気にする必要はありません。
もう、音楽を生み出したら、あとは聴衆に委ねるしかありませんね。
音楽を生み出す瞬間
結局のところ、
奏者は「空気を動かして、自分が思う音楽を生み出し、その空間を一緒に味わう」ことに集中すれば、
自然と聴き手に届くはず。
「どんな音楽をつくりたいか」というビジョンは常に持ち続けることが、
空気の振動を通して音楽を生み出す行為に意味を与えます。
その空間を隅々まで意識に含め、
その場と時間にしか生まれない音楽を全身で表現していきたい。
演奏自体の完成度を追求する練習ももちろん大切ですが、
それ以上に、
自分の音楽を創り出し、
空気を通じて共有するという創造的なプロセスは、
もっとワクワクするものではないでしょうか☺️